2005年06月15日
「情報(データ)」との付き合い方について考えてみる
ここのところ、雨、しかも大雨続きなのでブツブツ考えてみた。
- 情報の使い方
- 情報とは本来、自分の考え方を補強し補正するものである。
しかし考え方があやふやでしっかりしていないと逆に振り回されてしまう。
まず、情報に対し常に疑問をもってみることが大切である。「鵜呑み」にせず、自分の持っている感覚と違うと感じたら、それが正しいのか、それとも自分の方が間違っているのか考える習慣を付けることで、自分の考え方に自信がもてる様になる。
それを発展させて、「数字を読む」ということについて。
職場で回覧で回ってきた雑誌にそんなことが書いてあったのだけど、とても納得させられてしまったので記述してみた。
そう、セッティングとかドライビングとかの理論は、走る前に「こうやったらこうなる」という風に覚えてしまうとあんまり身に付かないのだ。
実際に走ってみて感じたものを補強し補正するのが理論(情報?)であり、
数字のデータを残すことの意義はそこから自分なりの解釈が出来、実践に向けて仮説を立てられるようになることなのだ。
きっと。
で、今の自分はどうなのかというと、出来ていない!
まず、得た情報を「鵜呑み」にしていることが多いし。
あ、でも言われたことに疑問を持たずに従うとはいっても、
自分で走ってみて気付かないんだったら(気付いていなさそうだったら)
周りに「まず何も考えずにこうしてみろ!(そしてそこから何か掴み取れ!)」と導いてもらうのはいい方法だと思う。
そういう風に言われたら、いろいろ考える前に従うべきだし、それは「鵜呑み」にしているのとは別だと思う。自分の考えを帰納的に得る為の手段、ということなのかな(自分で書いてみてちょっと意味が分からなくなってきた。)
「そうでもしないと上達しないから」という親心(親じゃないけど)をありがたく思わねば。そしてそこから何かを掴み取るのだ、ボク。
「おっちゃん、ありがとー!」(感謝している割には「おっちゃん」呼ばわりだけどね。)
暇な時に読む回覧の雑誌、なかなか侮れません。
そして雨の日にブツブツ考えごとするのはちょっと面白い。
今日分かったこと
- 数字の読み方
- 数字を読むとは自分なりの解釈が出来るということである。
その第一歩は仮説を立てること、つまり「今度はこうしてみよう」という将来への展望や問題意識が必要だということである。
自分なりの仮説や問題意識がなければ数字は何も語らない。
職場で回覧で回ってきた雑誌にそんなことが書いてあったのだけど、とても納得させられてしまったので記述してみた。
そう、セッティングとかドライビングとかの理論は、走る前に「こうやったらこうなる」という風に覚えてしまうとあんまり身に付かないのだ。
実際に走ってみて感じたものを補強し補正するのが理論(情報?)であり、
数字のデータを残すことの意義はそこから自分なりの解釈が出来、実践に向けて仮説を立てられるようになることなのだ。
きっと。
で、今の自分はどうなのかというと、出来ていない!
まず、得た情報を「鵜呑み」にしていることが多いし。
あ、でも言われたことに疑問を持たずに従うとはいっても、
自分で走ってみて気付かないんだったら(気付いていなさそうだったら)
周りに「まず何も考えずにこうしてみろ!(そしてそこから何か掴み取れ!)」と導いてもらうのはいい方法だと思う。
そういう風に言われたら、いろいろ考える前に従うべきだし、それは「鵜呑み」にしているのとは別だと思う。自分の考えを帰納的に得る為の手段、ということなのかな(自分で書いてみてちょっと意味が分からなくなってきた。)
「そうでもしないと上達しないから」という親心(親じゃないけど)をありがたく思わねば。そしてそこから何かを掴み取るのだ、ボク。
「おっちゃん、ありがとー!」(感謝している割には「おっちゃん」呼ばわりだけどね。)
暇な時に読む回覧の雑誌、なかなか侮れません。
そして雨の日にブツブツ考えごとするのはちょっと面白い。
今日分かったこと
- 情報は自分の考え方に筋道を立てて整理するためにあるということ。
- 数字のデータに意味をつけ解釈できないとあんまり意味がないということ。
Posted by しろたん来ました at 10:40│Comments(0)
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